流木販売 WOOD STOCK(ウッドストック)が販売する流木が育まれる三重の自然・パワースポットについてのご紹介です。
ホーム美し国とは

三重の自然・パワースポットについて

美し国三重の自然・パワースポットについてのご紹介

「美(うま)し国おこし・三重」は、「『文化力』を生かした自立・持続可能な地域づくり」をめざす取組です。
地域の多様な主体が、特色ある自然や歴史、文化などを活用して取り組む地域づくりを基本に、2009年(平成21年)から2014年(平成26年)までの6年間にわたって、多彩な催しを展開することにより、地域の魅力や価値を向上させ、発信するとともに、集客交流の拡大をはかり、自立・持続可能な地域づくりへとつなげていく取組です。
この取組を契機として、今後、三重県全域で、人と人、人と地域、人と自然の“絆”を深め、この地で暮らしたい、暮らし続けたい、訪れたいと感じることのできるような「美(うま)し国 三重」へとさらに磨きをかけていきます。
<美(うま)し国おこし・三重から引用>

有名なパワースポット
◎伊勢神宮
◎大台ケ原
◎熊野古道
◎赤目四十八滝
名水・清流
◎宮川
◎櫛田川

これはほんの一部の有名どころに過ぎません、伊賀市の山間部にもひっそりと数多くの生態系が育む自然が残されています。
この限られた地域だけでも環境および生態系を残して行きたいと当方は思う次第です。

 

伊勢神宮

伊勢神宮についてのご紹介です。

伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。
神社本庁の本宗(ほんそう)とされる。正式名称は神宮(じんぐう)他の神宮と区別する場合には「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて俗に「お伊勢さん」とも言う。
神階が授与されたことのない神社の一つで、中世においては二所宗廟の一つとされた。明治時代から戦前までの近代社格制度においては社格の対象外とされた。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮が存在し、一般に皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。
内宮と外宮は離れた場所にあるため、観光の場合は時間の都合上、内宮のみ参拝することもあるが、本来はまず外宮を参拝してから、内宮に参拝するのが正しい方法とされている。
元来皇室の氏神であることから皇室・朝廷の権威と強い結びつきがある。広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する。
この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。
近世お蔭参り(お伊勢参り)が流行した。
庶民の親しみを込めた「お伊勢さん」という俗名も定着し、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した。
<Wikipediaから引用>

伊勢神宮内宮神楽殿 伊勢神宮外宮 五十鈴川

 

大台ケ原

大台ケ原についてのご紹介です。

大台ヶ原山(おおだいがはらやま)は奈良県吉野郡上北山村、同郡川上村および三重県多気郡大台町旧宮川村に跨って座す山。
深田久弥によって「日本百名山」の一つとされている。
日本百景、日本の秘境100選にも選ばれている。
最高点の日出ヶ岳は標高1694.9 mで三重県の最高峰である。
頂上が平坦な複数の山からなる東西5 kmほどの台地状の山塊が存在し、これを大台ヶ原(おおだいがはら)と言うこともある。
このような頂上が平坦で周囲を傾斜が急な崖で囲まれている地形を隆起準平原というが、大台ヶ原は日本では珍しい隆起準平原の例である。

また大台ヶ原は世界的に見ても多雨地帯であり、これが植物や動物など生物の生育と分布に大きな影響を与えている。
そのため吉野熊野国立公園のなかでも特に規制の厳しい特別保護地区に指定されている。日出ヶ岳の直下、正木嶺や正木ヶ原ではトウヒの立ち枯れと笹原が見られる。
これは、1959年(昭和34年)に近畿地方を襲った伊勢湾台風がそれまで地表を覆っていた森林を破壊し、その木々が流出したことによりそれまで地面に自生していたコケ類が衰退、代わって、ササ類が繁茂し始めたためである。

その笹を主食とするニホンジカの数が増え、針葉樹の実生や樹皮までも採食するといった複合的な要因によって現在の環境に至っている。環境省ではシカが環境に与える影響が大きいとして個体数の調整(捕獲)を実施してきているが、自然保護団体からは、シカと環境変化の因果関係は不明であり駆除を行うべきでないという意見も出ている。

また、オオルリやコマドリ、コノハズクなどの野生生物の生息地として重要であるため、面積にして18,054 haが国指定大台山系鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている。
うち1,403 haは特別保護地区である。
<Wikipediaから引用>


 

熊野古道

熊野古道についてのご紹介です。

熊野古道(くまのこどう)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称。

熊野古道とは、主に以下の5つの道を指す。
・紀伊路(渡辺津-田辺)
・小辺路(高野山-熊野三山、約70km)
・中辺路(田辺-熊野三山)
・大辺路(田辺-串本-熊野三山、約120km)
・伊勢路(伊勢神宮-熊野三山、約160km)

これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。なお、その登録対象には紀伊路は含まれていない。
このような「道」が世界遺産として登録された他の例には、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」(文化遺産、スペイン)がある。道が世界遺産として登録されること自体はまれである。

熊野古道の遺構の特徴として、舗装に用いられた石畳が残っていることがある。石畳が用いられたのは、紀伊半島が日本でも有数の降雨量の多い地域だからである。また、江戸時代に紀州藩により整備された一里塚が残っている個所もある。

熊野古道の中には、国道や市街地のルートと重複していて吸収されてしまったものもある。
こうしたことが生じるのには紀伊半島の地理が関係している。すなわち、紀伊半島の中央部は、際立った高山こそないものの、どこまでも続く山々と谷に覆われている。このため、古来より交通開発が困難であり、交通路に適する場所は限られている。
現在もこの事情は同様であり、結果として、現代の主要な交通路は古人の拓いた道に並行し、さらには上述のように重複することとなる。

世界遺産に登録されたものが熊野古道の全てではないことにも留意する必要がある。
これは、熊野詣それ自体の盛衰もあって正確なルートが不明になっている区間があること、歴史的な変遷から生じた派生ルートがありそのすべてが対象となっていないこと等による。
なお、そうした「忘れられた」ルートを再発見しようとする地元の動きもある。
<Wikipediaから引用>

熊野本宮大社 世界遺産熊野古道 熊野古道 大雲取越

 

赤目四十八滝

赤目四十八滝についてのご紹介です。

赤目四十八滝(あかめしじゅうはちたき)は、日本に数多く存在する四十八滝の一つで、三重県名張市赤目町を流れる滝川の渓谷にある、一連の滝の総称である。
また、谷は赤目四十八滝渓谷(あかめしじゅうはちたき けいこく)と称される。
その地勢ゆえに当地は古より山岳信仰の聖地であり、地元には「滝参り」という呼び方が今も残る(後述の「不動滝」を参照)。
奈良時代には修験道の開祖である役行者(役小角)の修行場ともなった。

地名「赤目」の由来は、役行者が修行中に赤い目の牛に乗った不動明王に出会ったとの言い伝えにあるとされる。
また、役行者および修験道と関連するが、忍者の修行場であったとも伝えられている。

滝のある渓谷はおよそ4kmにわたって続き、峠を挟んで香落渓(こおちだに)へとつながっている。
渓谷は四季折々に楽しめるハイキングコースとなっており、紅葉の名所としても知られていて、秋には関西・中京方面などから多くの観光客で賑わいを見せる。

渓谷とその周辺地域は野生動物と植生の宝庫である。
特に渓谷は、世界最大級の両生類の一つであるオオサンショウウオの棲息地として知られ、滝への入り口付近には飼育・展示施設の日本サンショウウオセンターがある。
また、テレビ番組でオオサンショウウオを扱う際のロケ地となることも少なくない。
<Wikipediaから引用>

千手滝 荷担滝 静寂の渓流

 

宮川

宮川についてのご紹介です。

宮川(みやがわ)は、三重県南部を流れる一級河川。延長91kmは、三重県のみを流れる河川としては最も長い。
国土交通省の一級河川水質調査(BODを基準としている)で、平成3、12、14、15、18、19年に1位となっており、清流で知られる。
神宮式年遷宮のお白石持ち行事に使用する石は、この宮川の河原から採集する。

三重県多気郡大台町と奈良県との県境の大台ヶ原山に源を発する。
上流域は近畿の秘境とも日本三大渓谷の一つとも謳われる大杉谷である。大内山川などの支流と合流しながら北東に流れ、伊勢市で伊勢湾に注ぐ。
流域には多目的ダムの宮川ダムと三瀬谷ダムの他に11のダムがある。 中流域は茶の産地として三重県内では有名。
河口域にはデルタ地帯を形成しており、最も大きい三角州は人の住む伊勢市大湊町となっている。
<Wikipediaから引用>


 

櫛田川

櫛田川についてのご紹介です。

櫛田川(くしだがわ)は、三重県中部の中央構造線沿いを西から東に流れ伊勢湾に注ぐ一級水系の本流。

倭姫命世記では倭姫命が櫛を落とした地を櫛田と名付けたとあり、川名の由来ともなったのではないかとされる。

立梅用水(たちばいようすい)は櫛田川水系の朝柄川を水源とする用水である。
江戸時代の文政6年(1823年)に波多瀬村、片野村、朝柄村、古江村、丹生村の請願により紀州藩によって作られた。疏水百選に選ばれている。
<Wikipediaから引用>

櫛田川中流域